全国災対連ニュース №77

全国災対連ニュース 2011年10月24日 第77号
   生活再建支援へ全力あげる
   全国交流集会 被災3県代表が報告
 全国災対連と東日本大震災被災3県で構成する実行委員会が10月8日~10日に開いた全国交流集会について、1日目の記念講演の内容を前号(第76号)でお知らせしました。今号では全体集会での被災地報告などを続報します。


 全体集会1日目の記念講演につづいて、岩手、宮城、福島の代表が、被災地の現状と復旧・復興運動について報告しました。
元の地で復興願う漁業・中小商業者 スピードが問題
東日本大震災津波救援・復興岩手県民会議 鈴木露通・事務局長
 震災前の人口と比べると、陸前高田、大槌、釜石、山田、大船渡、宮古で津波による多数の犠牲者が出ていることが分かります。全国から寄せられた義援金3269億円のうち交付決定は2万8737件で進捗率は79.3%(9月30日現在)となっています。津波被害の特徴は人命、住宅、財産とともに仕事、産業が破壊されたことです。住宅の再建とともに仕事の確保、産業の再建の一体的取り組みが必要。漁業者・中小商工業者は被災地での復興を願っており、復興のスピードが問題です。
 県の復興基本計画は二面性を持っています。積極面は、①漁協を核とした漁業・水産業の再建をめざしており、漁協・漁民自身の早い取り組みがあったことです。②二重債務解消では、5000億円規模の産業復旧基金が設立されたことです。③震災孤児・遺児のために「いわて学び希望基金」が設立されました。
 一方、①大型開発・ハード最優先の計画になっていること。②被災した3つの県立病院の再建を明記せず縮小統廃合を狙っていること、など看過できない問題点があります。
 「県民会議」は7月9日、30の労組・団体・個人、約200人が出席して結成されました。3月15日に立ち上げた「共同対策本部」から、本格的な復興闘争をになう組織へと発展し、7月15日には岩手県に対し要請をおこないました。今後は国に対しても要請の取り組みをおこない、被災者の生活全般の改善や希望者全員が入居できる公営住宅の建設を求めて運動をしてゆきたい。
財界が食いものにする「上から目線」の復興計画
東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センター 菊地修・事務局長
宮城県は、いまだに避難所に789人が避難しています。仮設に移ったとたん、食料支給打ち切り、水道光熱費自己負担、義援金も配られず食料を買うお金もない。周りには店がなく、車も津波で流されました。仮設への入居は必ずしも弱者優先ではありません。仮設住宅入居者の孤独死も出ました。
 避難所生活ができず、車中生活をしている人がいます。エコノミー症候群や熱中症で亡くなる心配もあります。行政は把握していながら、食料支給打ち切りを宣言しました。県は何もしません。漁に行きたくても船も漁具もなく、浜には瓦礫があるので漁に出られない。酒に浸る人が出ています。女川原発も福島第一原発と「紙一重」でした。5系統のうち4系統で電源が喪失していました。全国的にも廃炉が必要です。
 復旧・復興の視点は、①3・11以前の生活・事業の再開が基本。それが物理的に無理でも被災者・住民の意思にもとづく復興であることが必要です。②復旧・復興は、憲法上の権利であること、を明確にしていく必要があります。憲法上の権利としては、元の場所で住宅を再建し、事業・生産を再開する、自由権的側面。国や自治体に援助を求める、社会権的側面。復興計画・まちづくりに参加して意見を表明する、参政権的側面。この3点が重要です。
 宮城県は8月に「震災復興計画」最終案を発表しました。それは、農業の大規模化・集約化、漁港の集約化、水産特区の導入、職住分離(高台移転)などです。村井知事は、「農地の大規模化と企業参入」「漁港の集約化」「水産特区」「災害対策税」、実質的な「道州制」導入を発言。最終案には、第2次案になかった「リニアコライダ-構想」(宇宙創生期のビッグバンの再現)、「メディカルメガバンク構想」(遺伝子研究)を盛り込りこみました。これらは、財界の食いものになる計画なので阻止していきます。
放射線から子どもと県民を守る取り組みを全力で
ふくしま復興共同センター 斎藤富春・代表委員
 原発事故の収束のめどはたたず、放射線被害は拡大し、すでに6人の自殺者が出ています。県民の思いは、「原発さえなければ」です。原発立地地域では震度6強を記録しており、東電は「津波で事故が起きた」と強弁していますが、地震による原発被害も当然あると考えられます。
 現在、県内避難は減っていますが、県外避難は毎日増えており全国に及んでいます。とりわけ、幼稚園・小中学生は1万7千人が転校手続きをしており(8月末現在)、福島県から子どもがいなくなるという深刻な事態が進んでいます。放射線被害は拡大しており、3区分の避難地域の他にホットスポットといわれる、距離に関係なく線量の高い所も避難の対象になりました。政府は避難住民が帰宅するまでに「20年以上かかる」と発表しました。覚悟はしていたが、さすがに気持ちが萎えてしまいます。
 現在の到達点。①6月15日の県民集会は100人を超える参加者で成功しました。5人の被災地首長からメッセージが寄せられ、浪江町長の「みなさんに生きる力を与えられている」という文面には参加者が励まされました。②地元紙2紙に「県民アンケート」を折り込んで配ったところ、2300通近くが返ってきました。80%の人が放射能問題で困っていると答え、「ひとこと」欄には怒りや不安がびっしり書き込まれていました。③福島県政に原発からの脱却という太い流れができています。
 今後の課題。①原発事故の収束問題では、原発労働者の安全と情報開示を求めていきます。②放射線から子どもと県民を守るために取り組みます。③東電への損害賠償請求運動と、原発ゼロのたたかいを進め、「なくせ原発! 10・30集会」を全国のみなさんとともに成功させたいと思います。
10の分科会で熱心に討論
 1日目の午後から2日目の午前にかけて、10の分科会が開かれ、熱心な討論がおこなわれました。2日目の全体集会では、各分科会の座長が討論内容を報告しました。
 全体集会の最後に、実行委員会総合事務局の鈴木露通・岩手県民会議事務局長が集会全体のまとめと閉会のあいさつをおこないました。
 交流集会は、当初の目標200人を上回る234人が、南は鹿児島からも参加し成功した。
 今後の活動として、①各地の活動から学び、被災3県でも交流集会を開く。②仮設住宅居住者の声に寄り添った救援を進める。被災者生活再建支援法の改善に取り組み、署名運動を促進する。二重ローン解消問題に取り組む。農・漁業・中小商工業者の支援に取り組む。③原発ゼロをめざし、福島で開かれる10・30集会の成功のために全力をあげる。④全国災対連と被災地の実行委員会で来年も交流集会を開く、の4点を確認。2日間にわたる交流集会は閉会しました。
オプション企画 2日間の「被災地視察」
 全体集会終了後、希望者はマイクロバス2台に分乗して被災地を視察しました。
 10月9日のコースは、大崎市岩出山町「有備館」(江戸時代の学問所)の倒壊現場→大崎市内内陸部の地震被害個所→松島「大松荘」で宿泊。案内は日本共産党の大崎市議・遊佐たつおさん、同・小沢和悦さん。
 10日は、最大の被災地石巻市へ。日和山から市内を見渡す。津波で流された車の火災が校舎に延焼した門脇小学校。女川町の津波被害現場。案内は元宮城県教組委員長の菊地英行さん。石巻生まれで、石巻の高校教員だっただけに、詳しい話を聞くことができました(写真)。津波に壁をぶち抜かれた家屋や工場、倒壊して押し流されたビルなど、その猛威に息をのみました。